ネパールのルンビニは、仏陀(シッダールタ・ゴータマ)の生誕地として世界中から巡礼者を惹きつけています。毎年、日の出直後に200人以上のチベット亡命僧侶が経典や金箔の仏像108体を手に長い行列を成し、仏陀の生誕を祝います。僧侶たちは太鼓を叩き、香を振り、銅製の長いラッパ「ドゥンチェン」を吹き鳴らし、その神秘的な音色が仏陀の教えの超自然的な美しさを響かせます。彼らは白いレンガと鉄骨の大きな建物、マヤ・デヴィ寺院に向かい、紀元前3世紀に建てられた磨かれた砂岩の柱や、マヤ・デヴィが沐浴したとされる池を巡ります。寺院内では、4世紀のマヤ・デヴィの出産レリーフと「誕生を示す石」の前で、高僧たちが無知を払う象徴的な「智慧の灯」を捧げる浄化儀式を行います。
「聖なる庭」と呼ばれる寺院外のエリアでは、ネパール、ベトナム、インド、タイ、日本など様々な国から来た僧侶が集まり、サフラン色や深紅色の袈裟をまといます。中国の僧侶は青と金の龍を掲げ、ピンクや白の衣を着た尼僧も参加します。瞑想台では、政治的対立を持つ国々の信者が肩を並べて平和を祈るマントラを唱えます。地元の在家信者ロブサン・ラマ氏は、各僧侶に10ルピー(約8円)を配り、「因果応報を信じています。施したものは来世で返ってくる」と語ります。ルンビニは、仏陀の誕生記念日とその霊的な力に惹かれ、僧侶や巡礼者で賑わいます。
しかし、ルンビニを訪れるのは信者だけではありません。考古学者たちは、ここで歴史的な仏陀—信仰や比喩ではなく、実在した人物—を探し求めています。彼らは仏陀の生誕地とされる場所や、17マイル離れたカピラヴァストゥ(幼少期の故郷とされる古代都市)の埋もれた遺跡を発掘しています。これらの発見は、仏教徒が仏陀の生涯の正確な時期を議論する上で重要であり、仏教がアジアに広がった時期や方法を明らかにする可能性があります。さらに、発展途上国ネパールにとって、新たな発見は巡礼や観光を促進し、経済的利益をもたらすチャンスです。ただし、これまでの成果とその解釈は議論を呼び、学術界では「シッダールタ・ゴータマが実在したのか」という新たな論争が起きています。
考古学者は、ルンビニで何を発見しているのでしょうか?マヤ・デヴィ寺院の下では、紀元前6世紀頃の木造構造物や煉瓦が発掘され、仏陀の生誕時期(伝統的に紀元前563年とされる)を裏付ける可能性があります。カピラヴァストゥでは、王宮跡とされる遺構や仏教遺物が見つかり、彼の幼少期の生活を垣間見せます。しかし、これらが決定的な証拠となるかは不明です。一部の学者は、仏陀を神話的象徴と見なし、歴史的な存在を疑問視します。2017年、カナダのデービッド・ドリューズ氏は、「歴史的仏陀の証拠は乏しく、彼が実在したかは証明できない」と主張し、議論を巻き起こしました。
信者にとって、仏陀は多様な姿で現れます。アメリカの世俗仏教徒には悟りを開いた教師であり、アジアでは龍を従え、空中を浮く奇跡的な存在です。経典に完全な生涯物語はなく、ジョン・S・ストロング氏は「仏陀の物語は歴史、教育、政治、文化が混ざったもの」と述べています。ルンビニでの誕生伝説—マヤ・デヴィが立ったまま産み、赤子が7歩歩き、花を咲かせた—は神秘的で、信仰を鼓舞します。
ダライ・ラマは科学的探求を支持し、「仏陀の遺物から年代を特定できれば有益」と述べています。しかし、一部の信者は、発掘が信仰を揺るがす誤解を生むのではと懸念します。ルンビニの遺跡は観光で賑わう一方、保存と開発の間で緊張が高まっています。考古学者バサンタ・ビダリ氏は、「仏陀がいる場所には金が集まる」と危惧し、遺跡保護の難しさを訴えます。仏陀の真実を追い求める旅は、信仰と科学の間で揺れ動く、終わらない探検です。